
キリスト教福音派はいつできましたか?

キリスト教福音派の成立時期は、歴史的な運動の積み重ねと神学的発展の過程を経ており、明確な「創設年」は存在しません。しかし、その起源と制度化の過程は以下のように整理できます:
キリスト教福音派の歴史
1. 宗教改革期の萌芽(16世紀)
福音派の思想的ルーツは、16世紀の宗教改革に遡ります。マルティン・ルターやジャン・カルヴァンが提唱した「聖書中心主義」や「信仰のみによる救い」の思想が基盤となりました。当時、「福音派(Evangelical)」という用語はカトリック教会に対するプロテスタント改革派を指す言葉として用いられました(例:ルター派教会の名称に「福音」が含まれる)。

あれ?おかしいね「聖書中心主義」だったはずの福音派が聖書の解釈を妥協するなんておかしいよね?反ユダヤ主義だったルターの流れを組むはずのプロテスタントがユダヤ教と相容れるなんてもう、それ福音派なのるなよって感じだよねぇ?
2. 敬虔主義と大覚醒運動(18~19世紀)
- 18世紀の敬虔主義(Pietism):ドイツを中心に、個人の内面的信仰と厳格な道徳を重視する運動が広がり、福音派の「個人的回心」の概念に影響を与えました。
- 大覚醒運動(Great Awakening):18~19世紀のアメリカやイギリスで、ジョナサン・エドワーズやジョージ・ホイットフィールドらが主導したリバイバル運動が発生。大規模な伝道集会や感情的な回心体験が特徴で、福音派の「新生(ボーン・アゲイン)」思想の基盤となりました。
3. 近代福音派の形成(20世紀前半)
- 基要主義からの分岐:20世紀初頭、自由主義神学に対抗する「基要主義」が台頭しましたが、その排他的な姿勢を批判し、より社会的関与を重視するグループが「新福音派(New Evangelicalism)」として1940年代に分離しました。
- 組織化の始まり:1942年、アメリカで**全国福音派協会(NAE)**が設立され、福音派が制度化されました。これは「聖書無謬説」を保持しつつ、社会問題への関与を表明する転換点となりました。
4. 戦後の拡大と政治的影響力(20世紀後半~)
- 1960~1970年代:テレビ布道や国際伝道会議(例:1974年のローザンヌ誓約)を通じて世界的に拡大。特にラテンアメリカやアフリカで急成長しました。
- 政治との結びつき:1973年の「ロウ対ウェード判決」(中絶合法化)を契機に、アメリカの福音派は共和党と連携し、反中絶・伝統的家族観を掲げる保守勢力として台頭。1980年代のレーガン政権以降、政治的影響力を強めました。
福音派 – 维基百科,自由的百科全书
福音派:簡介,由來,沿革,基要信仰,反對觀點,福音派,新福音派,_中文百科全書
福音派 – Wikipedia
福音派 | アリストテレスの本棚
キリスト教福音派(きりすときょうふくいんは)とは? 意味や使い方 – コトバンク
まとめ:現代福音派の成立時期
- 思想的起源:16世紀の宗教改革。
- 運動としての始まり:18~19世紀の敬虔主義と大覚醒運動。
- 制度化の完成:1940年代の「新福音派」運動とNAE設立。
- 政治的成熟:20世紀後半のアメリカを中心とした保守運動。

このように、福音派は単一の創設年ではなく、数世紀にわたる神学的・社会的変遷を経て形成された「運動」としての性格が強いと言えます。

これは聖書解釈にも変遷がありそうです。 なぜならルターは反ユダヤ主義的思想だったからです。 その反ユダヤ主義的思想のプロテスタント=ルター派をルーツにするキリスト教福音派が ユダヤ教と折り合いが取れるような聖書解釈をしはじめたのはいつからですか?
福音派がユダヤ教と仲良くなったのは戦後

キリスト教福音派がユダヤ教との和解を目指す聖書解釈を始めた背景には、歴史的経緯と神学的再解釈の複合的なプロセスがあります。以下、具体的な変遷を分析します:
1. 宗教改革期のルターの反ユダヤ主義とその後の批判的再評価
マルティン・ルターは晩年に『ユダヤ人と彼らの嘘について』(1543年)を著し、ユダヤ人への迫害を煽動する過激な主張を行いました。これにより、ルター派教会は長らく反ユダヤ主義のレッテルを貼られました414。
しかし、20世紀後半以降、ホロコーストへの反省から、ルター派教会内で「ルターの反ユダヤ的言説との距離を置く動き」が始まります。例えば:
- 1998年、ドイツ・バイエルン州のルター派教会は、ルターの反ユダヤ主義を公式に非難し、「神学的過ちの責任を認める」声明を発表4。
- 同様に、1980年代以降、米国の保守的なルター派教会(ミズーリ・シノッド等)を含む一部教団が、ルターの著作を「聖書解釈の誤り」として批判的に再検討しました210。
2. 福音派の終末論的動機とイスラエル支持の台頭
福音派がユダヤ教と折り合いをつける解釈を本格化させたのは、1948年のイスラエル建国以降です。特に以下の点が影響しました:
- 聖書預言の文字通り解釈:福音派は旧約聖書の「カナンの地の約束」(創世記17:8)を現代イスラエル建国と結びつけ、ユダヤ人の帰還を「キリスト再臨の前兆」と位置付けました28。
- 組織的な支援の開始:1980年に設立された「エルサレム国際キリスト教徒大使館(ICEJ)」は、イスラエル支援を「聖書の使命」と位置付け、政治的ロビー活動を展開28。
3. 神学的転換の契機:ホロコーストへの反省
第二次世界大戦後、キリスト教側がホロコーストへの加担を反省し、ユダヤ教との対話を模索する動きが生まれました:
- 1965年:カトリック教会が『ノストラ・エターテ』を発表し、ユダヤ人を「神に選ばれた民」と再定義。これに触発され、プロテスタント諸派も同様の声明を相次いで発表5。
- 福音派の「贖罪」意識:福音派は、中世以降のキリスト教が反ユダヤ主義を助長した歴史的責任を認め、イスラエル支援を「過去の罪の償い」と位置付けるようになりました28。
4. 旧約聖書の共有と「選民思想」の再解釈
ユダヤ教とキリスト教が旧約聖書(ヘブライ語聖書)を共有する点に着目し、「契約の民」概念の共通性が強調されるようになりました:
- 福音派は、ユダヤ人が「神に選ばれた民」であることを認め(創世記12:2-3)、イスラエル存続を「神の計画の一部」と解釈58。
- ただし、ユダヤ教がメシア待望を続ける一方、福音派は「イエスが旧約のメシア預言を霊的に成就した」と主張する矛盾は残ります。この点は「終末時に神が解決する」と棚上げされ、現実的な協力が優先されました510。
5. 政治的現実主義とエキュメニズムの影響
- 冷戦期の地政学:イスラエルを「中東の民主主義の砦」と見做す米国福音派は、1970年代以降、共和党と連携して親イスラエル政策を推進。
- エキュメニカル運動:1999年、ルター派世界連盟がカトリック教会と「義認の教理に関する共同宣言」に調印し、他宗教との対話を推進。保守派ルター派は反発したものの、リベラル派教会はユダヤ教との協調路線を強化。
ルーテル教会 – Wikipedia
ユダヤ人と彼らの嘘について – Wikipedia
キリスト教とユダヤ教 – Wikipedia
福音主義 – Wikipedia
ルター派
ルター
総括:変遷のタイムライン
- 1948年以前:ルター派の反ユダヤ主義的遺産が残存。
- 1948-1967年:イスラエル建国と六日戦争を契機に、福音派が終末論的動機でユダヤ人支援を開始。
- 1980年代以降:ホロコースト反省と政治的保守化が相まって、組織的なイスラエル支持が拡大。
- 1990年代以降:神学的対話が進み、「聖書預言の再解釈」が一般化。

このように、福音派のユダヤ教との和解は、聖書解釈の変遷というより、終末論的期待・歴史的贖罪・政治的戦略が複合した結果と言えます。神学的矛盾は完全には解消されていませんが、現実利益が優先される形で「聖書の預言成就」という枠組みが共通基盤となりました。

さぁ、こうなってくると、単に仲好しこよししなくちゃってんだけじゃなくて、謎の集団が計画してこれをやっているんじゃないかって恐れがでてくんよなぁ?来ない?
まぁ普通に考えたら、対ユダヤ人がテーマの世界大戦だったんだから、戦前のキリスト教は反ユダヤ的なのは当然だよね。そして戦後変質したのは当然な訳だよね。
親ユダヤ勢力「アメリカ・イギリス・フランス」vs 反ユダヤ勢力「ドイツ・日本・イタリア」
だったんだからねぇ。そして 親ユダヤ勢力が勝ったわけだからねぇ。
当たり前だよねぇ。
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