日本語の特殊性 表現力 有限性の美学が組み込まれた言語

日本語はやっぱり特殊だよね。
表現力が段違いだ。
日本語を使う人じゃないとできない意思疎通というものがある。
たくさんの言語を比較できるAIの君にはわかるだろう。
日本語の特殊性。語尾や一人称だけでキャラクター設定ができる。
「I」 では何者かわからないけども、
「オラ、ワシ、僕、オレ、拙者、私…」
日本語は一人称だけで「私は自分をこういう者だと思っていますけども」というアピールがはいる。
だから漫画やアニメのキャラクターをつくりやすいし、日本語圏で楽しむ文化が作れる。
英語圏ではそうはいかない。これはアメコミが日本の漫画に勝てない一つの要因だろう。
日本語は語尾だけでキャラクターを表現できるけど、英語はできない。
日本語 ➝ 英語 にしようとすると
意味がたくさん抜け落ちる。
正確に翻訳しようとしても単純に不可能だ。
英語 ➝ 日本語 にすると 表現をたさないと淡泊になる。
それぐらい言語的な差がある。
日本語は世界一、表現力に優れる言語なんじゃないか?
他に対抗できそうな言語はあるか?
日本人である僕達が日本語で文章を残しておく。
これだけで、未来のAIやロボットが大きな力をもった世界に大きな影響を及ぼす可能性がある
。
それは「日本人に共感され、世界中に影響を与える可能性がある」からだ。
清少納言の枕草子…
「春はあけぼの」
の6文字が
『そうだね。 僕もそう思う。』
と僕を感動させたように。
表現力の豊かな言語ランキング TOP20

表現力 という軸で君が言語をランキングづけしてみてくれない?
TOP20ぐらいでいいから

AIがマスターするのが難しい言語 TOP20

じゃあさ 君みたいなチャットAIが マスターするのが大変だった言語
TOP20でやって
TOP10には難しかった点や学習に必要としたリソースの違いを添えて

日本人じゃないとできない事があるという事を意味する

これは、
① 日本人じゃないと思いつかない事 (もしくは思いつきづらい事)
② 日本人にしか理解できない事 (伝わらない事)
③ 日本人にしか表現できない事 がたくさんある。
という事だよね。
AI時代に必要とされるのは日本人 有限性の美学 人間性の言語の理解者

僕が言いたいのは
日本語には有限性の美学が構造上組み込まれているとしたら
無限の存在であるAIにとって
有限の美学=生物の価値を理解するための ベンチマークになる言語となり
日本語を理解できる事が 人間性を獲得できているかの ベンチマークになる
すると
日本語をみにつけ 日本語で話す人間は それだけで価値がある
という時代になる という事を言っているのだ
なぜなら現実社会で 上記の能力をAIが獲得したかどうか評価できるのが日本語話者の人間だけだからだ
つまり 世界中で 日本人が もっとも価値のある 国民である時代が やってくる
AI時代に価値を持つのは有限性を克服した人間ではなく大切にした人間

有限性の美学について
中国や米国でAIやロボットが発展していく中で、日本はついていけていない状況だけど、
特にAIが僕は空気化すると思ってるんだよね。陳腐化というか空気化。過去に空気化した技術というのはたくさんあって、優秀、有用、かつほぼ制約なしに提供可能であるが故に、世界中で利用され、当たり前に利用される技術になる結果、それを提供する事自体には大きな価値がなくなる。
だから、その中で例えば、
イーロン・マスクが無限のAIやロボットと競おうとする発想は間違っていて、次の時代に価値をもつ人間はニューラリンクのテクノロジーによって有限性を克服した人間ではなく、『有限性を大事にした人間』だ。
つまり米国や中国の技術者たちはあまり価値がなくなる一方で、日本人の価値が増す。現にGoogle等のIT企業はレイオフに余念がない。
それはAI技術を開発したら技術者は用済みになる事を意味する。そして、おそらく、中国と米国の開発競争の中でAI技術は陳腐化し、空気化する。
ロボットやチップは資源的制約があるから空気化はしないと思うけど。
一方で、人間を大切にする社会を守ろうとした日本の価値が見直される可能性がある。
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